「人の心を生かすアート」
現代アート作家、松嶺貴幸


松嶺 貴幸 / Takayuki Matsumine
1985年生 岩手県雫石町出身
人が人たるために必要な活動の一つが文化活動です。
私はこの利己的かつ超流動的な現代において、あえて手間と時間のかかるアート活動に取組んでいます。それは私自身が、ものごとを深く捉えて楽しむ心を養うためであり、その発見によって人を楽しませる事を忘れない為です。
楽しむ、楽しませるとは何でしょうか?新しいもの、美しいもの、珍しいもの、愉快なものといった新感覚に触れる為には、ものごとを探求する力が必要です。見方、捉え方を変化させながら、ものごとを弄り回すような事を繰り返します。その中から、自分なりの表現を見つけ、表し、人と共有します。その表現力の根本価値は「生きていく力」に等しいのです。自分は何が好きなのか、生きていくうえで何を表現していきたいのか、またはどうなりたいのかという自己の再認識をし、心から楽しみ、生きていける力を見つけ、生活に汎用させていく事が文化活動です。
この超流動的、予測不可能な時代であるからこそ、私たちは漂うように世界のルールに従うばかりではなく「なりたい自分」を明確に探し出す事が必要です。自己を流し去ろうとする流動的な日々にブレーキをかけ、一度しっかりと立ち止まり、自己を探求・表現する事を試みる事が大切です。立ち止まる事によって生まれた個々のアイディアが社会をつくっていくのです。未来を造る力がアート活動には秘められていると信じています。
松嶺貴幸のアート・ステートメント
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HAM(ハム) The Art Gangs
松嶺貴幸はオリジナルアートキャラクター「HAM(ハム)」を制作、NFTデジタルアートとフィジカルアートをハイブリッドさせた作品を国内外に発表、展開しています。NFTアートの世界での先駆的なチャレンジを行っています。
経 歴
企業とのアート企画
個 展
グループ展
ソーシャルアクティビティ
アートディレクション・デザイン

松嶺貴幸の生い立ち、生死体験
小中高と野球に熱中する傍ら、最も強く取り組んだのが4歳から始めたスキーでした。11歳、1本のVHSに収められたカナダのフリースタイルスキーカルチャーに出逢い、スポーツでの表現の美しさと楽しさに強く魅了され、フリースタイルスキーを始めます。世界的なスキーヤーになる事を目指し、トレーニングを続け、15歳でムラサキスポーツからのスポンサードを獲得しました。
練習がより本格的になった16歳の冬、悲運にも、転倒事故により頸椎を脱臼骨折、頸髄を損傷、肩から下が動かない身体となりました。以後、19歳から岩手県盛岡市で一人暮らしを始めます。勉学に励み、独学で英検2級と高卒認定試験を通過、23歳で単身渡米、ロサンゼルス・サンタモニカカレッジ「国際ビジネス学科」で1年間修学します。19歳から独学で始めたデザイン業を31歳まで続けたのち、アーティストに転身、現代アートの世界に飛び込みました。
共創アート/仲間たちと共に創る社会性を持ったアート
有志で集まる仲間たちと作品の制作、展示・披露を2016年から実施してきました。共に学び、経験する場所として小中高校生から社会人が集まり、松嶺貴幸のアート活動を支えています。また、造形のプロフェッショナルが定期的に訪れ、技術的な教授を行うなど、質の高いアート制作に取り組んでいます。
身体的自由が効かない松嶺貴幸が、心から自由に発想したアイディアを、アートアシスタントが形にしていきます。その互いに支え合い、補い合い、生み出す制作スタイルは”共創アート”活動として非常に意義ある社会活動です。「自己表現の大切さ」を松嶺貴幸が発信し、個の役割を各々が再認識することを通して、なりたい自分になることを見つめなおすきっかけとなります。松嶺貴幸のアート制作現場は、自分の発見と、自分らしく旅立つための力を提供する場所となっています。
松嶺貴幸の目標
- 世界最高峰の現代アートの祭典である「スイス・アートバーゼル」での作品出展
- アートの国際的市場での評価獲得
- アート事業による教育、雇用の創出
スイス・アートバーゼルとは?
スイスのバーゼル(Basel)地区で誕生したアートフェアで、世界で選ばれたアートギャラリーのみが出展できる世界一のアートの祭典として非常に敷居の高いアートの祭典です。バーゼル地区で始まったアートフェアはアート”バーゼル”としてブランド化され、現在は世界3大バーゼルとして、アートアートバーゼル、バーゼル・マイアミ、アートバーゼル・香港の3つのバーゼルが存在します。松嶺は2016年にスイスで開催されたアートバーゼルに訪れ、現代アートの道に進むことを決意しました。
アートバーゼルに出展するとどうなる?
アートバーゼルに出展するには、アートバーゼルに選出・出展できるギャラリーとの契約が必要です。その契約を実現させるには、作品のクオリティは前提として、今日の社会において必要なメッセージを持ち合わせたアート作品として評価を受けることが必要です。また、アーティストの求心力も問われます。故に、アートバーゼルに出展できたという事は、世界的に価値あるアート作品であることへの裏付けであり、アーティスト経歴における称号でもあります。
アートの国際的市場での評価獲得とその意義
アートの国際的市場での評価獲得は、アートの作品価値を担保する為に大きな要因となります。アートをつくり、生業とできる事は自己表現で夢が実現でき、生活ができるという最高の成果立証です。
コロナ直後、ドイツでは「生命維持装置」として、この先行き不透明な世の中を生き抜く為に最も必要な力として、アーティストの事業持続支援金に6兆円を投じました。その例から見るように、国際的視点では、アート活動、文化活動は社会に多大な好影響をもたらす、あるいは社会を課題から救済する重要な事として取り扱われています。
また、文化活動は、人間が人間たるために必要な活動の4つの要素の一つとされています:
P 政治領域(法律/合法性) |
E 経済領域(貨幣/効率性) |
S 社会領域(伝統・習慣/規範性) |
C 文化領域(言語・芸術/対話性) |
アートが無くても死なない、という事が語られがちですが、幼少期における情操教育が世界標準で導入されている様に、アート及び文化活動を通して、人間がコミュニケーションを取るための表現力、感受性を持って物事に取組む力などは、人間たる根本的な力として必要とされるものです。
その中で、均質性を重んじる我が国日本では、自己表現の力と発想力、受容力が乏しいとされています。コロナ、災害など、予期せぬ事態が乱発する現代においては、自らが社会課題を発見し、自分自身で仕事を作り上げるような発想力を持ち合わせた人間でなければ生き延びることはできません。今日ある仕事が5年、10年後に存在するとは限らない時代な為、超主体的な発想力と実行力が求められるのです。昨今「アート思考」が注目されている理由です。
松嶺貴幸は、アート活動によって自分自身と関係者、社会を育む事を目的に活動しています。スイス・アートバーゼル出展という自己実現は、社会が自分自身を認める理由づくりとしての取り組みでもあります。自己実現の先には、松嶺貴幸が経験してきた社会の生き抜き方、または社会のつくり方について、共に語り生み出せる場所づくりに取り組んでいきます。その思いが存分に込められたアート作品が発信することも続けていきます。
THE VISION: 自己表現の価値を知り、生きる力を養う場所づくり
「私は16歳の時に自分自身に降りかかった大ケガ、それによって強いられた身体状況と共に生きる事について日々強く向き合ってきました。ケガ以前は、丈夫な身体と目標に向かう強い心をもった自分のキャラクターが、社会に参加することを助けてくれました。人と接するエネルギーと、接点を持つためのトピックを持ち合わせていたのです。しかし、若干ながらも確立してきたそのキャラクターは事故とケガによって一瞬で奪われました。手も足も動かない自分をどう社会の一員として浸透させていくべきか全く分からなくなりました。自分が持つ強みを全て奪われたような気分でした。
キャラクターを失うと、自分自身を取り巻く環境が一変しました。自分の足で外に出て、スキー場へ行き、気軽に仲間たちと滑る事が難しくなると同時に、自分の居場所が消えてしまったように感じました。自分とは、存在と表現を失った自分がいました。夢や理想が高かったことも自分を苦しめる大きな要因となりました。叶わないものが大きいほど、失ったものが大きいと感じさせられるのです。
失意の中、這いまわるように「新しい自分探し」をしてきました。なんとか生きて、そしてもう一度自分の居場所を見つけたいと強く願いました。残ったものを最大限に活かし、自分と人が喜べる暮らし方を毎日模索しました。社会復帰という退屈で大きなテーマに少しずつ食らいつき、戻ることを試みました。
私の社会復帰への挑戦は、2種類の極端な風を浴びるような体験でした。強烈に冷たい風と極端に温かい風です。時に社会は非常に厳しく私に吹きおろし、時に非常に温かく救うのです。そして、その2種類の風が私の感性を強く育んでくれたと思っています。
わたしは非常に平凡な人間です。特別な才能があるわけでもなく、特別な環境があたえられたエリートなわけでもありません。ごくシンプルに、楽しんで生きる事をあきらめなかった人間です。一つ一つ、地道に工夫し、取組み、積み重ねてきました。その続ける力だけを持ち合わせています。
そして、私の今日までの最大の発見であり糧となっていることは、社会の冷たさと、その中にある許容の存在です。大ケガを最高の機会に、自分とはなにか、どうなりたいかを強烈に見つめた上で、自分の存在認知を訴えるかのように自己表現を実施してきました。そして私はなりたい自分を実現してきました。そして今では、人生、最高だなと思える毎日を送っています。
アート活動とは、自分自身を、あるいは自分の好きなものを存分に探求し、生き方、生きる力を見つける事だと思います。その力を身につけるこつをより多くの人と共有していきます。」
松嶺 貴幸